5年生、まだまだひ弱さが目立つ。情けない。簡単に失点する。チャンスに弱い。80歳過ぎの爺さんでも入れることのできるチャンスボールを外す。お前は目が見えないのかと言いたくなる。球際の弱さ、浮き球の競り合い、当たり負けする、体を張っての守りができない、ピンチでのクリアボールが蹴れない。これら全て精神的弱さである。情けない。

私が退いて5年、この間、誰も結果を出すことができない指導者たち。今日、久々に担当指導者に叱責してしまった。過去、担当指導者に恫喝的叱責は、何度もある。私は、子供に厳しい面、指導者にも厳しい。

埼玉県で、トップを狙うなら半端な考え半端なやり方では絶対無理だ。また普通でもダメだ。普通なやり方では普通のチームに終わる。能力の高い子が集まるチームなら教科書通りのやり方でもある程度強くなる。あくまである程度だ。そんなチームとてトップを取るには指導者の能力が必要だ。

私は指導者が、自信とプライドを持つことを嫌う。自信とプライドは、謙虚さに欠け、さらに成長と努力を妨げる。何年、何十年、優勝も経験していようが、自信は持ってはいけない。常に謙虚で、不安と悩みを持ち続けることで、自然と努力をするのである。ただ、人の3倍努力したと自他ともに認めるなら、若干の自負はしてもいいだろう。

勝負に絶対はない。では、どうしたら勝てるようになるのか? 練習や試合を数多くこなせば勝てるのか?  能力の高い子供を集めれば勝てるのか? 全てノーだ。答えは、単純明快、指導者の能力だ。この能力の中で最も必要なことが、熱意、情熱、気迫である。昭和と言われようが、大正と言われようが、明治と言われようが、これなくして天下は獲れん。

こんなことを言っているようでは、誰もついてこないよ。と言われる超パワハラ爺とは私のことである。齢70歳を迎える高齢者だが、勝負となれば、一切妥協しない。

その昔、主催者も敵、サッカー協会も敵、審判も敵、相手は、予備審も入れて15人が敵だ。全て敵だと思え。仲の良い強豪チームもライバルと呼ぶな敵と思え。若き時代、そんな考えで戦ってきた。

ただ、さすがに、審判を敵に回すと辛いものがある。やはり、審判さんは、神様です。この心で本番は、審判様には、できる限りゴマすりに徹しなければ、あかん。